「山荘しらさ」から地域おこし協力隊へ:新名さんのいの町ストーリー

新名さんのこと
- それではインタビューよろしくお願いします。まず出身はどちらですか?
新名さん:香川県坂出市です。瀬戸大橋の近くの四国の玄関口です。
- 趣味はありますか?

新名さん:マラソン、トレイルランニング、トライアスロン、体を動かす系ですね。でもモノ作りも好きで、キャンプギア作ったり、バードコールを作ったりもします。ピザカッターも作りましたね。
移住するきっかけ

- いの町へ移住するキッカケを教えてください。
新名さん:子どもが18歳になり県外の大学に進学する、子育てがひと段落したタイミングで移住しました。
当時山好きのランナー仲間が、「山と渓谷社」の本に「山荘しらさ リニューアルオープン オープニングスタッフ募集 男性2名」の案内があるのを見つけてそれをなぜか私に送ってきたんですよ。

私は当時事務職でしたし、山をガンガン登る人ではなかったんですけど、ふと送ってくれたんですよ。
今は趣味でトレイルランをしているんですけど、当時はそんなにしているわけでもなく、山登りはそのランナー仲間と年に1回登るぐらいでした。
そしてその案内文を見てすぐ「ピーン!」ときて、「あ、行きたい!男性2名だけどそれでも行きたい!」と思ってすぐその日に「女性ですけど体力に自信あります!」って電話しました。
- すごい行動力ですね。山荘しらさのことは知っていたんですか?
新名さん:全く知らなくて、場所も何も知らず、石鎚山も登ったことなく瓶ヶ森なんて知らない、みたいな感じでしたけど、心のアンテナに引っかかって1週間後に面接しました。
1月に記事を見て2月の頭に面接がありました。山小屋がどんなところかも知らず泊まったこともなかったんですけど、夫に聞くと、「行って良いよ」と言ってくれました。
娘も4月に大学進学が決まっていたので、当時自分もちょっと新しいことをしたいなという気持ちが強くなっていて、夫も脱サラして自分のしたいことを仕事にするのは大賛成の人だったので「行っておいで そこで出会う人は今度の大きな財産になるけん」と背中を押してくれました。
そして4月に山荘しらさで住み込みで8ヶ月間働きました。
山荘しらさでの住み込み生活

- 住み込みなので山荘しらさで常に生活する感じですか?
新名さん:そうですね。月に1回香川に帰れるか帰れないかぐらいでした。1402mのところでずっと住んでいましたね(笑)
- 山荘しらさではどういったことをしていたんですか?
新名さん:カフェ業務と部屋の掃除やチェックインチェックアウトなど山荘しらさに関わること全般ですね。
- 8ヶ月の住み込み生活ですか。
新名さん:はい。季節労働者という感じで、しらさは冬季休業なので。期間が定められていたので夫も行っておいでって言ってくれました。
この8ヶ月の間で山が好きになり、目の前に石鎚山があるのでお客さんと話をしているうちに、山の楽しさを教えてもらいました。
石鎚山に深夜に登って朝6時に帰ってきたこともありました。戻ってきたらお客さんの朝食をそのまま準備してみたいな感じで(笑)
でも贅沢な時間でした。天の川と流れ星と暖炉で一人で薪をくべてコーヒーを飲んで、仕事が終わるのが遅くてもその後ワインを飲んで火を眺めながらいる時間が。
本当なら非日常ですけど、それが日常になってすごく楽しかったです。やったこともないことばかりでしたがすごく良い経験でした。
移住する前はインドアで本を読んで編み物、絵手紙とか吹きガラスとかしていたので、以前の私を知る人はびっくりですよね。
そして8ヶ月の勤務が終わり香川に戻りました。
地域おこし協力隊になるまで
- そうなんですね。その後のことについて教えてください。
新名さん:山荘しらさでの8ヶ月の勤務が終わる時に、ちょうど地域おこし協力隊、山岳観光の募集があったんですよ。
で、夫に今度は3年やけど良いかな?って相談すると3年なんてあっという間やから行ってこい!後悔ないように生きろ!とまた背中を押してもらいました。
そして地域おこし協力隊に応募しました。その時の流れに乗るんですよ私は(笑)
しらさに居た時も氷室の里の人たちや地元の人たちと知り合いになっていたので、地域おこし協力隊で本川に住むのも来やすかったですね。

- 地域おこし協力隊になっていの町本川に住むことに不安とかはなかったですか?
新名さん:全くなかったですね。
- いの町の印象について教えてください。
新名さん:いの町と言っても私がいるこの本川地域のことになるんですけど、地元の人の温かさがすごいなと思いました。スーパーはないですけど、不便ともそこまで思わなかったですね。あと、元々8ヶ月間山に住んでたんで、本川は逆に都会というか(笑)2時間あれば香川にも帰れますし。
地域おこし協力隊

着任して1年目
- 着任して1年目のことを教えてください。業務は山岳観光でしたか?
新名さん:そうですね。山岳観光に関する情報発信です。山荘しらさ内で「山の案内所」という観光案内所を開設してそこで勤務していました。
1年目はもう一人の同じミッションの方と分担しながら、勤務の日は常に山の案内所に行っていました。
天気のことや山の状況をお客さんに伝えたりする業務でしたが、ちょっと自分の思い描いていたものとは少し違いました。業務の中での制限なども色々とあったので、、
- そうなんですね。他にも何かされましたか?
新名さん:石鎚山のことや山の案内所のことを知ってもらうためにワークショップもしましたね。ランプシェードやバードコール作りなどをしました。

あとは福祉関係の資格をとりました。「同行援護」という資格です。目が見えない人と一緒にお買い物とか病院に連れて行ったり介助しながらいくっていう資格ですね。

着任して2年目
- そうなんですね。2年目について教えてください。
新名さん:1年目に引き続いて山岳観光の情報発信という業務をしていました。でも、3年目終わって自分が食べていくのに(生活するために)あたってのことを考えた時に、登山ガイドをしたいなと思いました。
2年目からは本気で登山ガイドの資格取ろうと思って、筆記を含めた4つの試験を受けてこの1年間で「登山ガイドステージI」をとることができました。ガイド取得に係る費用は地域おこし協力隊の活動費を活用しました。

この資格がなくてもガイドは制度上できるのですが、やっぱり肩書きがあると良いなと思って取りましたね。四国山岳ガイド協会のHPにガイドとして掲載されています。

新名さん:資格を取るために、一人で近隣の山で立木があるようなところで個人練習をしたり、役場の人についてきてもらってテントの設営の見守りをしてもらったりしました。
それ以外の資格もとりました。福祉関係でいうと「盲ろう者通訳介護」です。こう盲ろう者の方に私の手話を触ってもらって意思疎通をして介護をするという資格ですね。
そういう人たちと山に登りたいっていう思いがあって、四国山岳ガイド協会の人に聞いたら手話等に特化した山岳ガイドっていうのがほぼいないらいくて、「パイオニアになってください」って言われたんですよ。
だからそういう山岳ガイドなりたいなぁと思いました。障害を持つ人でも安心して山に登れる山岳ガイドになりたいですね、そこが目指すところであり、私の夢です。
やっぱり手話も楽しいですね。今日ちょうど1年間通った手話講習が終わったんですけど、ちなみに今日は手話でスピーチをしました。手話の世界に入って、また私の世界も拡がりましたね。
今年11月に東京でデフリンピックが開催されるんですけど、そのボランティアも応募しました。世界中の手話に触れます。「ありがとう」の手話一つとっても国ごとに違うんですよね。
で、手話に関していうと最終的には「手話通訳者」という資格を取ろう思っています。
着任して3年目
- そうなんですね。3年目について教えてください。
新名さん:はい。先ほどの話の続きでもあるんですけど、8月に仕事を一ヶ月休んで富士山にガイドとして行きました。8月1日から9月のはじめまで有給や代休を使って富士山のガイドやそれ以外の仕事をしました。
その時に一番最初にガイドをした団体が20名のレディースツアーでちょうどたまたま聴覚障害を持つ方がいたんですよ。

- それはすごい偶然ですね。
新名さん:その方には安心感があったと言ってもらえて嬉しかったですね。その富士山のガイドに応募したのも、同じ山岳ガイド仲間がグループラインでその募集を流していて、「それで行く行く!」ってなって行きました。なので全部流れに乗ることが多いです。
- そうなんですね。3年目は業務は同じく山岳観光の情報発信をしていました。
新名さん:いや、そうではなくてフリーミッションになりました。卒業後の生業準備をすることが多かったですね。香川に帰るという選択肢は私の中にはなかったです。
石鎚山のガイドや障がいを持つ方の山岳ガイドになりたいという思いが強かったですね。
- そうなんですね。フリーミッションになってまずは何から始めたのですか?
新名さん:4月、5月、6月は食品衛生責任者や刈り払い機の講習に行ったり、山の整備をしていました。で、7月ぐらいに空き家がありますと役場から連絡があったんですよ。
- 空き家ですか。
新名さん:はい。着任して1年目にゲストハウスをやりたいということを役場の方にポロッと言っていたんですけど、それを覚えてくれていて空き家を紹介してくれました。
- ゲストハウスですか!良いですね。なぜ1年目にやりたいなと思ったんですか?

新名さん:それはやっぱり、山荘しらさでやってた時に来てくれたお客さんの多さとか楽しさとかが忘れられず、自分でそれができたら最高だなと思いました。8ヶ月間のしらさの経験がゲストハウスをやりたいなというきっかけになりましたね。
- それで空き家を見に行ったんですか?
新名さん:はい。7月ぐらいに実際にお家を見に行って買うことになりました。大家さんに挨拶に行き、登記とかもやっておきたいなと思いながら、8月には富士山に行くしなぁと思いながらそういった準備に奔走していたのが前半ですね。
で富士山のガイドから帰ってきてからは法務局に行ったり手続き関係をしていました。
後半の半年はゲストハウスの準備をずっとしていましたね。(取材当時地域おこし協力隊3年目の3月)
- 結構大変ですか?準備は。
新名さん:やってたらその時は大変って思うけど、一個一個クリアしていく感じで、登記終わりました。次はリフォームしましょう、許可をとって、検査を受けて、、今は適合検査を受けている段階なんですけど。
意外と考えるよりも行動した方が簡単というように思います。動き出したら自動ドアみたいな感じでなんとかなるって感じです。
- 地域おこし協力隊について活動前と卒業間近の現在で何か思うところありますか?
新名さん:3年間があっという間でした。時間の使い方を少し間違ったかなとも思います、というのも4月からはたちまち給料がなくなるわけで、自分で食べていかないといけないのに、まだ目処は立ってないんですよ。
- なるほど、今ゲストハウスの改修・手続きを進めていますが4月からはまだ営業開始まではいかないってことですか。
新名さん:まだ見込みがない状態で3月を終えようとしている不安感はあります。なので、これから協力隊に入る人に対しては、起業するのであれば1年目から計画的にそれに向かって進んでいけば良いよと言いたいですね。
私は時間を無駄に使ってしまったというかもっと上手な使い方があったはず!と思いますね。なんか3年間本当にあっという間やったなぁと感じます。
- 地域おこし協力隊という制度はどうでしたか?
新名さん:本当にありがたい3年間だったなと思います。あとこれから地域おこし協力隊に来る人に言いたいのは地域の人としっかり関わると良いなと思います。そのきっかけとして地元の人と交流する場に顔を出す、参加することが大事かなと思います。例えば婦人会とか、消防団に入るとか。あと、協力隊同士の横のつながりもできたのも良かったなと思いました。
そしてこの3年、終わってみたら、この後もいの町のフィールドで働きたいなという思いが強くなりました。
これからのこと

- これからの新名さんのプランを教えてください。
新名さん:今旅行業の仕事も請け負おうと思っていて、とりあえず添乗員、ツアーコンダクターの資格を取ろうとしています。
「旅程管理主任者」という旅行の手配をしたり、色んなお世話をするんですけど、その資格の試験が大阪でちょうど明後日にあるんですよ。
その後にあるもう一つの資格を取れば、自分で旅程を企画することができるようになるので、登山のプランを自分で企画して自分で送迎したりできるようになりますし、泊まるのなら自分のゲストハウスに泊まることができるし、全部くっつけてできるなぁと思って今勉強を頑張っています。
- すごい!色んなことを精力的にされているんですね。
新名さん:取りたい資格はまだまだあって、とりあえず取っておけば引っかかってくると思うんです。
ゲストハウスで生計をしっかり立てるというのはそこまで考えていなくて本当は、ガイドで食べて行きたいと思っていますね。
ちなみに地域おこし協力隊で活動費を活用して取得した資格や講習、研修は登山ガイド1、同行援護、盲ろう者通訳介助、手話奉仕員養成講座(基礎、入門)、食品衛生責任者、刈り払い機、チェンソーなどです。
- なるほど。ガイドの仕事は富士山とか他にもいくんですか?
新名さん:富士山もルートは4つあるんですけど、今年やった後は来年はアルプスの方に行きたいなぁと思っています。すごい良い山がいっぱいあるので、自分のキャリアももっと積んで他の山も見てどこでもガイドできていけば良いなと思っています。
ゲストハウスは色々予定がずれていますけど、今のところ5月ぐらいから始めれたら良いなとも思っています。けど、今年も富士山のガイドが7月〜9月の2ヶ月間いくので、その間もいないのでどうかなぁと思っているのが現状です。
- 新名さんは本当色んなことされていますよね。その原動力はなんですか?
新名さん:私は暇なのが無理というか、動いてる方が良いというか、生き急いでるので(笑)いつ死んでも後悔ないように生きているので、やることはいっぱいある、って感じです。人生楽しんだもん勝ちって思ってます。
- そうなんですね。インタビューは以上です。ありがとうございました。